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歴史書について、考える [中国古代史]

現在、『春秋左氏伝』を読んでいるんですが、なんというか、書いてあることと評価とのギャップが激しすぎて、あれれ?と思うことが多くあります。
つまり、現実にその時代に起こっていることと、それを評価する時代の感性が、ものすごくブレているということですね。
これは、左氏伝の時代にはまだ、ほとんど儒家というものが形成されておらず、あるいは、後半にようやく形成されはじめたといっても、それが思潮の中枢になるということはなかった、ということと関係が深いのかなぁと思ったり。
ちょうど、左氏伝も後半あたりで、孔子がでてきて、じたばたしているわけです。
……うん、じたばたしてるんだよね、この人が(^ ^;)。
後世の、聖人のような孔子像からは似ても似つかないジタバタぶりです。
なんかちょろっとでてきて、少しだけ活躍したかと思うんですが、すぐ歴史の表舞台からいなくなってしまう。
あちこち放浪したらしく(このへんの話は『史記』にでてくるんですが)結局、きちんと仕官するなんてことはできなかったっぽい。
まぁ、「仕官」という発想そのものがですね、この時代にはまだ定着していないわけで。
しかも孔子が理想とする君主っていうものが、もう現実からかけ離れまくっているので、「そんなもんいるわけねーだろー」と突っ込みたくなるような有り様。
存在しない君主を求めて放浪する孔子って……誇大妄想狂ですか?
しかも孔子が「これぞ!」と絶賛している周公旦とか周の礼法とかってのも、どうも孔子の頭の中で妄想膨らませてできあがったシロモノっぽいこと夥しい。
しかもそうやって孔子が練り上げた「理想」が、いわばその後の中国思潮のデファクト・スタンダードになってしまうわけですから、オソロシイ……。

そして、孔子はどうやら、「史」という役職についてたんじゃないかと思わせる雰囲気があるんですが、その後の、まぁ、漢代以降ですが、史書と呼ばれるものが書かれるようになってくると、この孔子の理想がデファクト・スタンダードになって、その門下生が史書を書くのがあたりまえとなってきます。
だから、中国の歴史書ってやつは、孔子の理想が満載なわけで、そこから少しでもはずれると、とたんに「アウト!」とレッテルをはられてしまう。
たとえば、女性が表で何かやるのは、絶対ダメですよね。
だから武則天なんか、論外なわけです。が、実際には武則天のような存在があって、ほかにも女性が力を振るった例は(隠しきれずに)存在する。でも、そういうものは、とにかく「ダメダメだった」というレッテルで潰していく。
そうなると、史書というものに書かれていることが、どのぐらい「本当」なのかってのは、かなりの眉唾なわけでして、そこらへん、「儒家の怨念」を斟酌しながら読まないと、通り一遍なお題目的歴史になってしまうのですね。
いわゆる悪女と呼ばれる人たちも、そういうレッテルでずーーっと語り継がれてきたわけで、それはどうよってところがいっぱいあるわけです。

それとは別に、左氏伝を読んでいて、つくづくと度し難いなぁと思うのは、王とか諸侯と呼ばれる支配階層です。
本当に骨肉の争いは平気でするわ、倫理感ないわ、わがままだわ、人のいうこと聞かないわ、好き勝手するわで……ちょっとでも「まとも」なことすると、すぐに覇者になれます、はい。
いや、斉の桓公なんて、相当にひどいよね、これと思うんだけど、それでも管仲のいうことだけはなんとか聞いていたから、十分に覇者になれちゃった、っつーぐらいのもんです。
みんな……人のいうこと聞こうよ(泣)。
逆に言うと、これらの支配階層が、なぜ、他人のいうことに耳を貸さない存在になっているのか、そのへんから民族性を探るというのも、面白そうですけれどね。
鍵は殷代にあると見た。

ま、それはさておき、左氏伝にでてくる女性たちって、なかなか興味深いので、少しずつ紹介してみようかなぁと思います。というか、左氏伝にでてくる女性たちを順番に紹介するだけで、何かが透けて見えると思うんだな。


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